






私たちが生きている場所を問いかけるモールの風景
小野啓は、2002年から「青い光」や「NEW TEXT」というシリーズで日本全国の高校生を撮り続けてきました。
ウェブを通じて撮影を希望してくる彼らと出会うために、小野は日本中を移動し、各地でモールの建設が増えていることを実感します。やがてモールは、被写体である高校生たちの馴染みの空間として、撮影場所にも多く登場するようになりました。
モールの風景を捉えることは、変化していく日本の風景を見つめ、そこで生きる私たちの生活や在り方を問いかけることになるのではないか──小野は2010年代に入り、モールの撮影を本格的に継続します。
人の欲望やそれぞれの差異を覆い隠す、巨大な箱のような外観。その中に登場する人々の、日常と地続きでありながら少し浮遊するような振る舞い。ひとつの街でもあるモールは、地元の風景にどのように接続し、見え隠れするのか。
そして時間の経過によって廃墟となるモールも現れ、しかし今日もどこかで建設が進む現場。
20年にわたる撮影を通して、人々の共通体験となったモールを記録し、その内側と外側から、社会の循環と人の営みを見ようとする試みです。
"見えてきたのは、自分が生きている場所だった。モール周辺には新しい住宅の建設が行われている。ロードサイドには家電量販店や外食のチェーン店が立ち並び、流通のトラックが行き交う。こういう場所に僕たちはいるのだ。それまでぼんやりと個別に認識していたものたちが 、モールを介してつながるようだった。 写真学生の頃から長年使用してきた中判レンジファインダーのカメラが、このテーマに適していると確信していた。脚を反転させ折り畳んだ三脚を携えて 、歩き続けた。それは、ポートレートからランドスケープへの拡張だっただろうか 。"
小野啓 あとがきより
"こんな具合にモールについて調べたり、考えるようになったのは、モールは大きな存在にもかかわらず、誰もその歴史や意味について考えていないように思えたからだ。人は、日常的に存在している当たり前のものについて、深く考えたりはしないものだ。一方、モールは社会的にも軽視される風潮にある。有名建築家は美術館や図書館には設計に積極性を見せても、モールの設計に興味を持つことはない(海外の案件は別だったりもするが)。モール建築で有名なジョン・ジャーディーという建築家がいるが、彼はモール以外の世界においてはあまり有名ではない。都市計画や政治学の研究者が公園や広場に興味を持つのは、それが公共や民主主義とつながるから。だがモールは公共とも何主義ともつながっていないように見えている。結局のところモールは、無個性でアノニマスで大衆的な商業施設でしかない。
それでもショッピングモールは世界でもっとも普及しているもののひとつになり、根を張るように存在する。あらゆる専門家は軽視するモールだが、写真家はどうこれに向き合うだろう。(中略)
ショッピングモールの写真集を見てみたいという思いを昔から抱いていた。それが実現したことを喜びたい。"
速水健朗 寄稿「ショッピングモールは、人生にとって必要なものではない」より
"「サイダーのように言葉が湧き上がる」というモールが舞台のアニメ映画を作ったのだが、似たような外観、内観だと思っていたそれにも個性があるのだと気づいた。コンセプトは同じでも、実はその土地に根差した作りになっていることが多い。で、これはモールを凝視するように観察しないと気づけない。アニメ作りは設定作りとも言えて、特に舞台となる美術設定を考える際は普段見落としがちな細部にも目を配る。だからモールごとの個性にも気づけたのだ。
今作にも同じような観察眼を感じる。見落としがちな細部を小野さんのアングルで切り取ると、何気ない場所でも誰かにとっての特別なのだ、とあらためて気づかされる。遠くから見れば塊感のある巨大で無機質な箱だが、その内部にはたくさんの人が行き交っていて、有機的な幾千通りの人生が確実に存在する。カメラの置き所でこれほど表情を変える被写体も珍しいのでは、とも思う。
写真集として見るモールも、さまざまな表情を見せてくれて心が躍る。そしてアニメ作りのため何百枚とモールの写真を撮った自分としては、個人的なシンパシーを感じてしまうのだ。"
イシグロキョウヘイ(アニメーション監督)
ー出版社HPより